近藤信男
相場での数々の大勝により、田舎の小さな紡績会社だった近藤紡績を、30年の間に東洋紡やカネボウと肩を並べる紡績会社にした近藤紡績2代目社長で、株式市場において、当時の花形人気株に野村証券の買い対し次々に大量のカラ売りを仕掛け「売り将軍」の異名で呼ばれるが約90億円、先物取引では約30億円の損失を出し、さらに中山製鋼所をめぐる糸山英太郎との仕手戦で約40億もの大損をしながら、2,000億円もの資産を遺した。
極端な人間嫌い、秘密主義者で誰にも正体を明かさなかったことから、孤高の相場師とも呼ばれている。