赤線協定
- 英語
- Red Line Agreement
- 関連語
- トルコ石油 , スタンダード・オイル
1928年、米系の石油会社ニュージャージー・スタンダード石油会社(後のエクソン社、現エクソンモービル社)とソコニー・バキューム石油会社(後のモービル社、現エクソンモービル社)が、トルコ石油に資本参加する際に定められた協定のこと。
20世紀の初頭、メソポタミア(現在のイラク)における石油利権をめぐって、イギリス、フランス、ドイツ、アメリカの各国が入り乱れて争ており、英独は1914年にメソポタミアを含む、オスマントルコ帝国領内の石油資源を対象として設立されたを中心にしてトルコ石油会社(後のイラク石油会社)を設立した。第一次世界大戦でドイツが敗戦国となったため、同社の権益を失い、代わりにフランスが参入することとなったが、アメリカがこれに反発、イギリス、フランスは、1922 年アメリカの参入を認め、1928年までの6年間にわたり協議を重ね、英系のアングロサクソンオイル(Anglo-Persian Oil、後のBP)、英蘭系のロイヤルダッチ・シェル(Royal Dutch/Shell Group)、仏系のCFP(後のTOTAL)、アメリカ・シンジケートがそれぞれ 23.75%、グルベンキャンが 5.0%という資本構成で合意した。
アメリカ・シンジケートは 1922 年の交渉開始時点は7社であったが、1928年には5社となり、さらに1930年には、ニュージャージー・スタンダード石油会社(Standard Oil(N.J.))、スタンダード・オイル・ニューヨーク石油会社(Standard Oil(N.Y.)、1931年にバキューム・オイルと合併し、ソコニー・バキューム石油会社)の 2 社となった。
協定の内容は、トルコ石油参加各社は、エジプトとクウェートを除く旧オスマントルコ領内で単独で石油事業に従事することを禁止し、実質的に石油利権の共同所有と共同操業を義務付け、国際石油会社間の競争を制限するというものであり、その適用地域を明確にするため地図に赤線で示したことから、この取り決めは「赤線協定(red line agreement)」または「赤線条項(red line clause)」と呼ばれている。
1948年にこの協定を廃止する協定が当事者間に締結されたが、この協定は、国際石油産業の競争を制限するための取り決めとして、石油産業史上、画期的なものであり、最も著名なものの一つである。